MY WORDS

ふと思った事を、つらつらと書いておきますね。


絵を描きたいと思った。絵による表現をしたい。
けど、描けなかった。描こうとしなかっただけかもしれないけど。


なんで自分の嫌がる事ばかりをするのだろう。
なんで自分の思い出したくない事ばかりを引き出すのだろう。
なんで自分の恥を踏みにじっては後悔をしているのだろう。
最近、生きてるのが面白くない。
口が滑って失敗して、揚げ足を取られての繰り返し。
でも、歌ってるときと詩を書いてるときは最高に楽しい。
このループから、抜け出したいのか抜け出したくないのか。
僕は今、自分が嫌いです。


最近、社会について考えるようになってきた。
流石に18歳にもなれば、みんなそうなるのかな。
今日僕が思った事、果たして僕はこの箱舟に必要なのだろうか?
安全地帯に身を寄せ、流れるままに流されるのは大事だと思う。
自分、家族、親戚、友人などなど、守るべきものはたくさんある。
そのためには「文句も言わないし、手段も選ばない」それで結構。
けどさ、その中に入らず逆走する人がいたっていいじゃない。
それがその人なりの「道」ならば、なおさらのこと。
見守っててとか、応援してとかは言わないからさ、
せめて、煩わしく思わずに頭の片隅にでも置いてて。
それが「大通り」に発展したときにでも思い出して欲しい。
「ああ、そんな奴もいたな」って。


追求しなきゃならないモノで、中には目に見えないモノがある。
いくら手がかりを掴もうとしても、僕の手は空を切るばかり。
なんだか矛盾を感じる。


「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うものの、
社会的には通用しないのが現在。未来に必要なのは人間傾向。


ヒトとは周りの物事を吸収して成長していく者の総称。
世の理を知らなければ、人間の思考は生まれない。
自分の考え出した言葉・信念だと思っていてもそれは、
今まで取り入れてきた物事が混ざり合って出来たもの。
芸術は人間の思考に倣っている。
芸術とは模倣の積み重ねとその融合からの捻出に依る。


僕の大学受験は所詮エゴでしかなかった。
間違ってたんだ、全てとは言わないが9割方は。
生まれた地があり、産み育ててくれた人がいる。
そのためなら僕の安いプライドなんて捨ててしまえ。
自分の力を最後まで信じる、信じる者は救われる。
その言葉を信じないから、僕が僕をフォローする。
余裕があれば、他人だって向こう岸まで乗せていく。
そうすることができたなら、僕の人生に悔いはない。