玩具修理者/酔歩する男

玩具修理者 (角川ホラー文庫)

玩具修理者 (角川ホラー文庫)

玩具修理者、読み終わりました。
思った以上の集中力でほんの数時間で読破。
今の僕はラノベ一冊読むのに2,3日、下手すると一週間かかるので、
これは僕の読書スピードが落ちているのだと、嘆いていたのですが、
そうではない、面白い作品はちゃんと一日で読み終わるということは、
今まで読んでいた本が面白くなかったんだ。
文字数、ページ数共にそう変わらないのに読み終わる時間が違うということは、
恐らく集中力、本の人を惹きつける力の強さに違いがあると僕は思います。


表題の短編「玩具修理者」だけではなく、
抱き合わせの小長編「酔歩する男」だってA面に負けてはいない。
冒頭の矛盾した発言をひとつの謎として読者の頭に疑問を抱えさせて、
読んでいるうちに、この矛盾を見事に納得させるSF的理論付け。
これが僕と同じ人間から作り出された小説なのか、才能とは恐ろしい。


ああ、何度も読み返したい箇所がある。
付箋紙を持ち歩いておけばよかった。
シュレディンガーの猫による波動関数の収縮も興味深い。
詳しくはこちら:シュレーディンガーの猫 - Wikipedia


一番印象に残った台詞はこれ。
あなたは全ての物事において因果関係を持ち込んで理解しようとしている、
だからこの話を理解できない、因果律とはなんの意味も持たない、
という発言から続けられる言葉に以下のようなものがありました。

限られた理解力しか持たないわれわれの脳が
あまりにも複雑な世界に対面したときに
壊れてしまわないために脳自身が設定した安全装置、
それが因果律なのです。
小林泰三著「酔歩する男」より引用)

こんな狂気染みた理論にも関わらず、魅力を感じずにはいられません。
それはやはり、僕が少しなりずれた感性を持っている人間だからでしょうか、
それとも単に怖い物見たさに被せた蓋が緩んでしまったのでしょうか、
どちらにしても良い回答とは言えないし、もしかしたら回答すら存在していない状態、
つまりまだ波動関数が収束していない事象ではないのかと思えてきます。
考え出すと凄く頭が痛い。脳に負担がかかります。


波動関数の収束が人の安心につながるということが、
世を平和へ導くために適用ができないものか考えてしまいました。
しかし考えたところで未来の波動関数は拡散したまま触れることは出来ない、
となると波動関数云々を議論しても無駄では、と思ったところで、
シュレディンガーの猫では確かに「2択」の不実在が共存していて、
えーと、つまり何を言おうとしたんだっけ…。解らなくなってきた。
本当に頭が痛い。