いろんなことがあるわけで

今日は始業式。しかし明日は忌引します。
…おじい様が亡くなられました。明日はお葬式。
なんでも遺言で「葬式はするな」とのことらしく、
お通夜は身内11人だけの小規模なものでした。
明日のお葬式もこのメンバーのみで行うそうです。
元々おじい様は会社を興し、育て上げてきた方なので、
お葬式となれば参列者の方も相当な数になるはず。
しかし本人が「迷惑をかけたくないから」と言うものだから
周りには内緒の方針。大事な知り合いにはお葬式の後に連絡する。
「迷惑」というのはつまり人に仕事を中断させることです。
お世話になった方々の大半は、お仕事関係の方でしょう。
邪魔しちゃいけない、自分の前で泣く人を出来るだけ減らしたい。
そういう気持ちだったのでしょうか。
僕の家系は代々密葬だそうで、父もそれを望んでおりました。
「俺の葬式はしなくていい。質実剛健、棺も一番安い物にしてくれ」
「ただ、お前は好きにしていい。盛大にするもよし、俺に倣ってもよし」
ああ、あとこんな言葉も思い出した。


「死を知るために今生きているんだ」


それにしても、人が死ぬってどうしてこんなにも騒々しいのだろう。
あまりにも形式ばっていて気持ち悪い。お通夜の前も飛び交う言葉は
「それは200万…」「7000円違うだけですから…」とか、そんなのばっか。
やらなきゃならないことなんだろうけど、なんでやらなきゃならないんだろう。


ビックリしたのは、お通夜・お葬式を行ってくれるお寺の規模。
中心街にあるこの建造物をお寺だと認識している人は何人いるのだろうか?
僕は来たことがあったのでお寺だと知っていましたが、妹は知らなかった模様。
だって見た目がどうこう以前にいきなり自動ドアだもん。
ウィーン、ですよ。お寺でウィーンって…。
しかも広い、何畳何部屋ありますか?それに厨房も広くて本格的。
専属コックがいるわけでもないのに…。


おじい様が亡くなって、涙を流さない自分に疑問を抱きました。
何度経験しても、人が死ぬってことがぱっとしないのですよ。
ジャム・マスター・ジェイさんが殺されたときは悲しくて泣きそうになりました。
しかし、これは彼が亡くなったこと自体が悲しかったのでしょうか?
それともRUN-D.M.C.の解散が悲しかったのでしょうか?
やっぱりぱっとしない。死に対しての焦点が定まらないのです。
そう考えているとき、GAKU-MCの「ここにいない君へ」を口ずさんでみました。


You may never know この街の喜びも悲しみも
You may never know 僕が起こす成功も挫折も
You may never know 伝えられなかった感謝の意を
You may never know 腕のなかで 今 安らかに眠れ
You may never know 残していった家族の未来を
You may never know 残された時間の大切さを
You may never know 君が残してくれた言葉の偉大さを
You may never know 安らかに眠れ


ここで、初めて泣きそうになりました。
「ああ、おじい様が亡くなったって事は、そういうことだったんだ」
僕は式場を出て喫煙所へ行き、ずっとそのフレーズ歌っていました。
You may never know.....


乱文、失礼しました。